83年の衆議院議員選挙で初当選し、97年に文部大臣で初入閣を果たす。
その後、文部大臣、文部科学大臣(初代)、外務大臣、内閣官房長官、
党税制調査会顧問、清和政策研究会会長、衆議院議長なども務めた。
06年からは森喜朗元首相に代わり、自民党内最大派閥・清和政策研究会の会長も務めた。
12年の自民党総裁選挙出馬中に脳梗塞を患い、14年に衆議院議長に就任したものの、
15年4月、体調不良を理由に議長を辞任。同年6月1日、享年70歳で永眠。
「凛として力強い日本・北海道!」の実現を常に考え、尽力した。