岳父・町村信孝について

「凛として力強い日本を、次の世代につなげたい。」

83年の衆議院議員選挙で初当選し、97年に文部大臣で初入閣を果たす。
その後、文部大臣、文部科学大臣(初代)、外務大臣、内閣官房長官、
党税制調査会顧問、清和政策研究会会長、衆議院議長なども務めた。
06年からは森喜朗元首相に代わり、自民党内最大派閥・清和政策研究会の会長も務めた。
12年の自民党総裁選挙出馬中に脳梗塞を患い、14年に衆議院議長に就任したものの、
15年4月、体調不良を理由に議長を辞任。同年6月1日、享年70歳で永眠。
「凛として力強い日本・北海道!」の実現を常に考え、尽力した。

受け継がれる町村家の姿勢

家系図

町村金五(1900-1992) Wiki

大正13年内務省入省。富山県、新潟県知事、警視総監、東京都次長などを経て昭和27年以来衆院議員に4選。北海道知事に3回当選。のちに参院議員となり、第2次田中改造内閣の自治相兼国家公安委員長を務めた。

写真:町村金五

町村敬貴(1882-1969) Wiki

北海道町村牧場創業者にして、貴族院議員、参議院議員を務め日本の酪農会の先駆者として活躍した。

写真:町村敬貴